芸術とデジタル

Art and Digital /Artificial Intelligence

September 2001

 

なぜ、芸術がデジタルコンテンツビジネスに重要か? 

 

人間の考えることを具体的に表現したものが「コンテンツ」である。

表現手段は、人間の五感に訴えるものすべて対象となる。

デジタル技術は、表現する手段として「効果的な道具」である。

 

人間の五感、「視」「聴」「嗅」「味」「触」の中で、比較的デジタルが苦手とする「嗅」「味」以外の3つの感覚は、デジタルメディアでの表現が容易になってきている。

中でもとくに「視」「聴」のデジタル表現が著しく発達してきている。

映像、高精彩グラフィックス、リアルなサウンドなどがデジタルメディアを通してファインアートの世界でも使用されるようになってきている。

 

そうした人間の意思により表現されるコンテンツを収集、整理統合、供給することを事業とすることがコンテンツビジネスである。

 

デジタル技術は、表現する道具であると同時に、複製によってオリジナルを増殖させるという機能を併せ持つ。

 

芸術は、人間の創造力と意思を徹底的に圧縮した形で産み出される一つの表現形態であるといえる。技術も同様に極限に挑み続ける人間の営みのひとつの表現形態である。

芸術も技術も表現されたものはコンテンツである。

 

その違いは何か?

 

技術は、あくまで利便性、合理性の追及である。

芸術は、あくまで精神的な欲求の追及である。

 

技術で産み出されるものは結果的に美しいが、芸術ははじめから美しいものを目指す。

 

コンテンツは、人間が考えられる限りの創造力、智恵をふり絞った結果産み出されるソフトウェアであり、その多くは芸術である。つまり五感に何かを与えるもの、観たり聴いたり、触れたりすることなどで感動を与えるコンテンツは芸術性を多分に含んでいるということである。

 

コンテンツは、何かしらの感情的な影響を与えるものでなければならない。

たとえ、それは数字や、無味乾燥の言葉や図、断片的な音であっても、それらの持つ意味は、あきらかにある種の人間に感動を与えるのであればコンテンツと言える。

コンピュータの時代は、単なる数字や文字の羅列を整理する「データ」の時代からより目的意識を伴ったデータの集積としての「情報」の時代を経て、いまその情報がより明確に人間に訴えかけてくる「コンテンツ」の時代に入った。

 

携帯電話が単なる情報伝達手段ではないが故に、生身の人間の感情を伝える道具として未曾有の普及を遂げている。情報ではない、手軽にコンテンツを伝えられる、しかも生活の中で最も大切と思う(思い込んでいる)相手とリアルタイムに話せる携帯電話はまさに夢のコンテンツコミュニケーションである。

 

そうした、単なる現象や偶然の産物もコンテンツになり得るのである。

しかし、より良質のコンテンツを考えるとき、人間の意思が積極的にはたらく芸術表現への取り組みは不可欠である。

 

極限まで美しい人間や動植物、自然などを表現しようとすることを考えていただければおわかりいただけるに違いない。

 

人間はさらに抽象的な表現で新しいものを産みだそうと飽くなき努力を続ける。

デジタル技術は、そんな人間の極限への欲求を仮想の中に表現するための道具として登場してきた新たな道具の一つである。

 

道具の一つであることを忘れると、複雑なデジタル回路は人間の意思と遊離したところで暴走する。

 

あくまで、人間の意思で正しくコントロールすることが不可欠である。

 

 

 

科学技術と芸術の類似性、自由な究極表現

 

科学技術の世界も芸術と同じように究極のものを求める活動を続けている。

 

その二つの世界を結ぶものが、いま20世紀末からこの21世紀にかけて、デジタルアプリケーションとして急速に展開されてきている。

 

高い品質の究極表現で、多くのひとびとに受け入れられるものを目指す科学者、技術者、芸術家、そして哲学者がデジタル技術を活用することで、デジタルコンテンツのビジネスが人間社会に新しい産業として根付くことになる。

 

(渡部@TGI)

 

 

 

 


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